祖母

11月27日深夜祖母が亡くなった。


体調を崩してたった3週間で逝ってしまった。
病院に着いた時にはすでに息を引き取った後だったが、まだ祖母の手は
温かく、生きているようだった。
しかし祖母の体に着けられていた医療器具や酸素マスクが片付けられて
いること、そして同居している叔父叔母、そして従姉弟が泣いていることで、
もう間に合わなかったことが分かった。
まるでドラマを観ているような、そんな錯覚に襲われ自分のこととして
受け入れるのに少し時間がかかった。


悲しむ間もなく、看護師の方に祖母は綺麗にしてもらい私たちは
医師の説明を受けどこからともなくやって来た霊柩車に祖母を乗せ
祖母宅へ戻った。
その間、家族みんなで明日、明後日しなければならないことや、連絡先
を確認し役割分担した。
そこからは、寝る暇もなく、とにかく作業に追われ祖母の死をゆっくり
噛みしめる時間もなかった。
しかし、それくらいで良かったのだろう。


お通夜、葬儀と多くの方に参列していただき、本当に盛大なお見送りが
できた。
湿っぽいのが嫌いで、賑やかで華やかなことが大好きな祖母にぴったり
だった。
従妹と2人で祖母に最期のお化粧をし、お気に入りの着物をきせてもらうと
本当に娘のように綺麗だった。


やっとたくさん涙が出た。
身近な人が亡くなるとき、いつも思うことがある。


人はなぜ、悲しく涙が出るのだろう。
その人が亡くなったことが可哀そうだから?
若く亡くなったならそれもあるだろう。
それとも自分がもうその人に会えなくなるから?
自分にやり残しがあり悔やまれるから?


私の場合は、後者の二つで泣いていることが多い。
残された自分に対する涙だ。
時には、悲しみに酔っている時だってあるように思う。


そして思う。
祖母は、どんな人生だったろう。
残された部屋や、認知症のある祖父を残して逝ってしまったことを
考えると、思い残しがあるかもしれない。
しかし、激動の昭和の時代を力強く生き、華やかに思うがままに、最後の
最期まで、どの人にも「綺麗なお姉さんだったね」と言ってもらえた祖母は
幸せだったのではないだろうか。


そう思うと、自然と涙も止まり、しっかり祖母の姿を焼きつけておこう
と思った。
そして、これから先祖母が何を望んでいるのかを考えた。
一番は、祖父のことだろう。
20年来脳梗塞を患い、記憶が曖昧で生活も介護が必要な祖父。
いつも祖母は「私が先に逝ったらいけん」と口癖のように言っていた。


祖母は熱で入院していると聞かされていた祖父は、祖母の死をどんな
ふうに受け止めたのだろう。
じっと眼を閉じたままの祖父の心痛は計り知れない。


とにかく、祖父を大切にしなければと思う。
祖父が一日でも長く生き、笑顔で毎日を送れることが祖母への恩返しに
なるように思う。


おばあちゃん、ありがとう。


そして、医師や看護師の方、深夜に迎えに来て下さった方、葬儀場の方々
仕事とはいえ、本当に最後までありがとうございました。
祖母の葬儀に参列して下さった方にも感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。