失われた20年

我が家は、1月より新聞を長年親しんだ読売新聞から山陽新聞に変えた。
理由は、旦那曰く「広告の量が山陽新聞の方が多い」から。


まぁ新聞に変わりはないし、ジャイアンツは最近低迷だし、
地方のことがよくわかるからいいかぁくらいの気持ちで変えた。


しかし、大好きだった編集手帳も人生相談も、毎週金曜日に楽しみにして
いた英語のクロスワードパズルもない。
その上、本当に地方記事ばかりで読み応えはなかった…


けれど、一つだけ1月から始まった特集「30代のパズル〜希望をさがして」
は、まさに私自身もど真ん中なだけあって、大変興味深い。


私を含めた30代は、「失われた20年」に思春期〜青年期を過ごした。
様々な岐路に立たされる年齢ながらも、社会の閉塞感はぬぐえぬまま。
もっとも生きづらい年代とされているらしい。


「ポスト団塊ジュニア」の世代としてこの世に生まれ、バブルの頃は
ほんの子どもで確かに豊かさはあったものの、やれお受験だの、
やれ習い事だの、また学校でも「ゆとり教育」前の詰め込み教育破たん
間際だった。
思春期に入るや否や「バブル崩壊
高校で3回出席した(うち1回はもちろん自分の)卒業式では、英語の先生
が「君たちが大学を卒業する時、少しでも経済が明るくなっていることを
願います」と3回とも同じ祝辞とは到底言えない送る言葉を言っていた。


先生の願いむなしく大学を卒業する頃には、さらに経済は悪化し「就職氷河期
と呼ばれる時代。
私の場合、教育学部を出たにも関わらず、教師になりたくなかったため
FP(ファイナンシャルプランナー)なる資格をわざわざスクールに通って
取り、意気揚揚と就職活動をするも、撃沈。
30社以上は受けたが、結局採用されたのは2社。


当時、偉そうに面接官をしていた30代半ばのおじさんを見て、この人
バブル期に就職したんだよなぁ〜、引く手数多かつお土産付きの面談とかで
大した苦労も知らずに入ったんだよなぁ〜面接官じゃなかったら張り倒したい
と本気で思いながら笑顔を繕っていたことをよく覚えている。


まぁ、私の場合は苦労して就職したにもかかわらず、数か月で辞めてしまう
くらい大した根性も、一貫性もないので、偉そうなことは何一つ言えないけど。


終身雇用とか年功賃金とか、そんなものが目の前で崩れるの見てきた20代。
何のために働き、生きているのだろうっと考えた人は少なくないだろう。


その新聞の記事の中にも、2人の同世代の男性が出てくる。
それぞれ都会から一人は笠岡諸島で漁師になり、一人は県境山間部への
移住募集に応募し森林組合で働き希望をつかむまでの過程が細かく
記載されている。


ギリギリまでIT戦士として踏ん張り、心がポキッと折れた後それぞれの
感じ方で岡山にたどり着いたらしい。

 「50歳ぐらいになってリストラや倒産などでひいひい言うぐらいなら、
今を精いっぱい頑張って自力で生きていけるすべを身に付けたい。
苦労はあすの糧です」と独立独歩の気概を示す漁師の男性。


 一方、森林組合で働く男性は自らに問い掛けるように
 「豊かさや生きがいって何なのか。その価値観は一つではないはずです。
ここに来て人は変わっていけるんだと思えました」と言ったとある。


日一日を一生懸命に生きていると、自分が「失われた20年」を過ごした
生きづらい世代とは、全く感じない。
私自身は、家族にも恵まれ友人にも恵まれ、なんなら「幸せだなぁ」
と常々感じる。


ようは、気持ちの持ちようだったり、まさに「豊かさとはなにか」なの
だろう。
もしかするとバブル期に青春を過ごしたあの面接官よりも、私たちの
世代の方が、よっぽど真の豊かさを知っているし、それを攫むチャンス
があるのかもしれない。

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(山陽新聞 30代のパズル〜希望をさがして)

もしお時間があれば。